「静かな退職」が増える時代に、
私が”私より稼ぐ人”を育てたい理由
30年近く経営を続けてきて、あらためて考える「人を育てる」ということ
「静かな退職」という言葉を、最近よく見かけるようになりました。
会社は辞めない。でも、必要以上のことはしない。言われたことだけをこなし、情熱は静かに手放していく。そんな働き方を指す言葉です。
SNSや転職サイトの記事でも頻繁に取り上げられ、人材育成や組織づくりに関わる方であれば、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
この記事は、その働き方を否定するためのものではありません。無理をして働け、という話でもありません。
ただ、経営者として、そして長年インストラクターという形で人を育ててきた立場として、この言葉が広まっていく背景には、見過ごせない現実があると感じています。
私がお伝えしたいのは、たった一つです。
人は、もっと自分の可能性を
発揮できるということ。
30年近く会社を経営し、人材育成に関わり続けてきた立場から、今日はこのテーマについて、私なりの考えをお話ししたいと思います。
「静かな退職」とは何か
「静かな退職(Quiet Quitting)」とは、実際に会社を辞めるわけではなく、仕事に対する熱意や積極性を静かに手放し、必要最低限の業務だけをこなす働き方を指す言葉です。
2022年頃からアメリカで広まった考え方ですが、今では日本でも人材育成や組織づくりの現場でよく耳にするようになりました。
特徴的なのは、これが「反抗」ではないという点です。遅刻をするわけでも、業務を放棄するわけでもありません。表面上は、これまでと変わらず真面目に働いているように見えます。
ただ、その内側で、
これ以上は、頑張らなくていい。
という判断が、静かに下されている。それが「静かな退職」の本質だと、私は理解しています。
頑張りすぎない、というと、聞こえは悪くありません。ワークライフバランスを大切にする、健全な選択とも言えます。
ただ私は、経営者として、そして人を育てる立場として、少し違う角度からこの現象を見ています。
Gallupの調査が示す日本の現実
アメリカの調査会社Gallup社が毎年発表している「State of the Global Workplace」という大規模な職場実態調査があります。世界160カ国以上の従業員データをもとにした、従業員エンゲージメント(仕事への熱意や積極的な関わり)に関する調査です。
最新の調査によると、日本で「仕事に熱意を持って取り組んでいる」と答えた従業員は、わずか8%でした。
8%
日本の従業員エンゲージメント率
出典:Gallup「State of the Global Workplace」
世界平均の半分以下、主要国の中でも最低水準です。10人に1人にも満たない人しか、仕事に心理的にコミットできていないという計算になります。
Gallupの調査は2012年から続いていますが、日本のエンゲージメント率は長年5〜6%台で推移し、世界最低水準に低迷し続けてきました。今回の8%という数字は、その中では微増ではあるものの、依然として厳しい現実であることに変わりはありません。
この数字を見たとき、私は驚くと同時に、「やはり」という思いも抱きました。
「静かな退職」が話題になるのは偶然ではありません。エンゲージメントの低さという土壌の上に、この現象は自然に育っているのだと思います。
なぜ日本でエンゲージメントが低いのか
理由は一つではないと思います。
終身雇用や年功序列の名残で、成果より在籍年数が評価されやすい仕組み。管理職がプレイヤー業務も兼任し、部下の育成やフィードバックに十分な時間を割けない現場。挑戦よりも失敗を避けることが優先される空気。
成果を出しても評価が大きく変わらない。逆に、目立った失敗をすれば減点される。そうした環境では、「頑張る」というリスクを取るよりも、「無難にこなす」方が合理的な選択になってしまいます。
また、上司や周囲からの承認やフィードバックの機会が少ないことも、大きく影響していると感じます。人は、自分の仕事が誰かの役に立っているという実感があってこそ、次の一歩を踏み出せるものだからです。
そして何より、
「頑張っても、頑張らなくても、
大きくは変わらない。」
という感覚が、多くの職場に静かに広がっているように感じます。
これは、個人の怠慢の問題ではありません。むしろ、真面目で誠実な人ほど、その感覚にたどり着いてしまうのではないかと、私は思っています。
私が違和感を覚えた理由
私は30年近く会社を経営してきましたが、その中でずっと感じてきた違和感があります。
それは、「仕事=生活費を稼ぐための手段」という考え方だけで、人生の大半の時間を過ごすには、あまりにもったいないのではないか、ということです。
1日のうち、私たちは多くの時間を仕事に費やします。人生のかなりの割合を占める、その時間が、
ただ「こなすだけ」の時間になってしまう。
それは本人にとっても、その人と関わる周囲にとっても、とても惜しいことだと感じてきました。
これまで、たくさんの方々の学びや成長に関わらせていただく中で、本当は力を持っているのに、その力を発揮する場所や機会に出会えていないだけの人を、数えきれないほど見てきました。
能力がないのではありません。発揮する場所が、なかったのです。
だからこそ私は、社員を増やして組織を大きくするという道ではなく、一人ひとりが自分の名前で、自分の可能性を発揮しながら働ける仕組みをつくりたいと考えてきました。
私より稼ぐ人を育てたい理由
誤解のないようにお伝えしたいのですが、私は社員という働き方を否定しているわけではありません。組織に属し、守られながら力を発揮することも、立派な選択です。
ただ、私自身が選んだのは、社員を増やす道ではなく、インストラクターという仕組みでした。
一般的な「社員を増やす」経営
組織に人を抱え、指示のもとで業務を遂行してもらう。評価や昇給は、会社の枠組みの中で決まる。
私が選んだインストラクター制度
一人ひとりが自分の名前で活動し、自分の実力がそのまま収入に反映される。地域や分野で自立して活躍できる。
そしてこの仕組みの中で、私がずっと願ってきたことがあります。
私より稼ぐ人を、育てたい。
これは、謙遜でも、綺麗事でもありません。本気でそう思っています。
一般的な組織では、部下が自分を超える存在になることに、無意識のうちに不安を感じてしまう場面もあるかもしれません。自分の立場やポジションが脅かされるように感じるからです。
でも私は、そうは思いません。自分より力のある人、自分より稼ぐ人が育つということは、私が育てた土台の上で、その人がさらに大きく花開いたということです。それ以上に、経営者として、そして指導者として嬉しいことはありません。
実際に、私よりも高い実績を出しているインストラクターもいます。それを誇らしく思える関係性こそ、私が本当に目指してきたものです。
教育とは何か
私は、教育とは「自分を超える人を育てること」だと考えています。
自分の型に人をはめ込み、自分を超えないように囲い込む。それは教育ではなく、管理です。管理は、組織を安定させるためには必要な機能ですが、それだけでは人は育ちません。
本当の教育は、自分が持っているものを惜しみなく渡し、その人が自分の力で、自分にしかできないやり方で、成果を出せるようになるまで支えることだと思うのです。
そこには、手放す勇気が必要です。育てた相手が、自分の想定を超えていくことを、恐れるのではなく喜べるかどうか。
自分を超える人を、
どれだけ育てられるか。
それが、経営者や指導者としての、一つの器の大きさなのではないでしょうか。
東洋思想から見る「仕事」
私は長年、東洋思想や五行を学び、教え、広めながら経営を続けてきました。
東洋思想では、何か一つだけを大きくするのではなく、「調和」や「循環」を大切にします。木・火・土・金・水の五行も、それぞれが支え合うことで全体のバランスが生まれるという考え方です。
仕事も同じだと思います。会社だけが得をする仕組みでは、循環は生まれません。個人だけが我慢する働き方でも、長くは続きません。
人生のかなりの時間を占める仕事もまた、この循環の外にはありません。生活のための時間、成長のための時間、人とのつながりを育む時間。それらは本来、切り分けられるものではなく、一つの流れの中にあるのだと思います。
会社も、人も、
共に豊かになってこそ、
本当の循環が生まれる。
「静かな退職」が増えるのは、この循環のどこかが滞っているサインなのかもしれません。
まとめ
「静かな退職」は、悪いことではありません。無理をして燃え尽きるより、ずっと健全な選択だと思う場面もあります。
ただ、その選択の背景に、「頑張っても報われない」というあきらめがあるのだとしたら、それはとても惜しいことだと、私は思うのです。
それでも私は、伝えたいのです。
私が伝えたいこと
人生は一度きりです。仕事は、その人生の大半の時間を占めます。だからこそ、その時間を、ただ「こなすだけ」で終わらせるのではなく、成長する場所、人を幸せにする力を磨く場所、人生を豊かにする場所として使ってほしい。それが、私の一番の願いです。
そして、そう思ってくれる一人ひとりが、自分の名前で、自分の可能性を思い切り発揮できる場所を、これからもつくり続けていきたいと思っています。
もし今、あなたが「これ以上は頑張らなくていい」と、心のどこかで感じているとしたら。それは、あなたの問題ではなく、力を発揮する場所に出会えていないだけなのかもしれません。
このテーマについては、「紫鳳ノート Vol.002」でも、経営思想として書いています。よろしければ、あわせてお読みください。